頑張って毎日を過ごしているあなたへ~デジタルデトックスをして、本を読んで見ませんか?~その1

本格的な秋の始まり。
暦の上では、秋の土用を終えて、立冬を迎えた今日は、読書の秋におすすめしたい本をご紹介したいなと想って、書いています。
夏で消耗したカラダを労わる時間の中で、私が久しぶりに読み返したいなと感じたのは、光野 桃氏のエッセイでした。
「感じるカラダ」
「実りを待つ季節」新潮社
「実りの庭」文芸春秋
私が彼女の文章に出会ったのは、10代後半か20代前半。
「桜の机」とタイトルが付された、女性誌の巻頭エッセイでした。
お父様から誕生祝いに贈られた、20歳の彼女にとっては、重厚すぎただろう松本民藝家具の桜材の机の話。
父娘のどこかぎこちない関係性の中に、互いへの深い愛情が仄見える文章に、当時も魅かれ、今も読み返すとじんわりと滲み入るものがあります。
このエッセイは、「実りを待つ季節」にも収められている一編。
彼女は、私より一回り以上年上の、私にとってはお姉さん世代。
ファッションへの憧れが強く、当初はファッション関係のエッセイが多かったと本人も書かれていますが、私は比較的最近の「生きる」ということや、「女性として豊かに生きる」ことについて書かれているエッセイを選んで読んでいる気がします。
「わたし」という意識が強く、エネルギッシュに動き続けるファッション誌の世界で、前だけを見て生きていた彼女が、生きづらさを抱えていたこと。
なんとか「わたし」を活かして、自分らしく生きたいと願いつつ、周りから期待される理想や、自分が想い描く理想と、自分が感じている「わたし」のギャップに悩み、もがいていたこと。
そんな生きていく日々の中で生まれ、背負い、内側に秘めた迷いや戸惑い、悩み、深い悲しみ達を、お母様の介護を経て、いろんなものが剥がれ落ち、自らも脱ぎ捨てながら、癒され、自ら癒していく時間が、数々のエッセイに描かれています。
エッセイを何冊も読みながら、人として、女性として、豊かさを増し、柔らかさや軽やかさを纏っていかれる姿に、私はとても深く共感し、我がことのようにほろっとしたり、じんわりしたり、切なさを感じつつ読み進めました。
それは、外側へ、広く、見知らぬ世界へと向けられていた視線が、内側へと深く向けられ
そこに既にあった 光 たからものを目にし、再び手にし、驚き、喜ぶような感覚を覚えさてくれる時間。
彼女のエッセイの中でも、私が手元に置いて大切にしている一冊があります。
「あなたは欠けた月ではない」文化出版局
私たちは、豊かな時代、豊かな国に生まれたからこそ、惑い、悩み、人に言えずにひとり孤独のうちに抱えこむ。
泣くことを忘れ、涙が最後に頬を濡らした日さえ思い出せない
泣いてはいけない、負けていられない、だから必死に涙を抑えこむ
なんでもないふりして、笑って
傷ついても傷ついていないふりをする
そんな私たちに、この本の巻末で。彼女は語りかけます。

「月は満ち欠けするから月。欠けているばかりではなく、満ちているだけでもない。
満ち欠けは呼吸であり、全ての生きとし生けるもののリズムである。
あなたは欠けた月ではなく、月そのもの。
光に照らされていない時でも、その半身は必ずそこにあり、次の満月の準備をしている。
秋の夜、澄み渡った空を眺めてごらんなさい。
思いもかけないほどまばゆい光を湛えた月が静かに、ゆったりと、揺るぎなく、そこにある。
それは、あなた自身。
その美しさをこそ、あなたは生ききらなければならない。」
Puruna mantraという大切な音が伝えることも同じ。
欠けているように見えても、それはそこにすでに在る。
光がどんなふうにその姿を浮かび上がらせても、その完全性は変わらない。
私たちは、既に満ちている。
必要なものを全て授けられ、生み出された私たち。
その美しさを、完全性を、どうか想い出して。
私たちに宿された美しさ、完全性を思い出すために、私はヨーガを学び、練習し、伝えているのかもしれない。
満月に向かう美しい月
豊かな光を湛えた月を愛でながら、その月と変わらず美しいあなたという存在も、どうか慈しんでくださいね。
当Spaceは、リラクゼーションをもたらすヨーガセッションをご用意しています。
夏の疲れがひと段落して、冬に向かって準備をしているカラダを整えたい方には
呼吸に寄り添うように感じながら、お一人お一人のカラダ・呼吸・こころを整えていくリラックスヨーガを。
もの想う秋に、切なさやよくわからないモヤモヤを感じている方には
ご自分の内側へと旅するように過ごして、カラダはもちろん、こころを緩めていくリストラティブヨガやヨーガニドラを。
プライベートやセミプライベートセッションで、安心して、こころから寛いで、深いリラクゼーションをお楽しみください。