こころを聴く時間〜こころのお散歩〜

こころを聴くってなに?

こころを聴く時間は、1対1のプライベート又は数名のグループで開催します。

具体的な行動を記すと・・・

こころを聴く時間は、「話す」「聴く」「内側の反応を観る・知る」を、各人がそれぞれ繰り返します。
グループセッションの場合は、「話す」がひとり2回もしくは3回くらい。

グループセッションのことを、詳しくご紹介すると・・・
現在は、ティック・ナット・ハン氏の著作「How To Love]〜翻訳本「愛する」をお供に、それぞれが本を手にしたときに気になった一節や箇所を選び、「こころが動いたこと」を話していきます。

例えば
一節め 「河のような心」は、こんな風に始まります。

「コップの水に塩を一つかみ入れると、その水はもう飲めません。
でも、その同じ一つかみの塩を河へ入れたとしたら、その水はなお皆が汲み、料理に、洗濯に、飲み水にと使い続けることができます。
広大な河には、受け入れて包みこみ、より良く変えていく力があるからです。」

ここから、ハン師は、心がぎゅっと固まったり狭くなっているときと、広くおおらかなときについて、そして広くおおらかな心で、深い理解と思いやりを持って、誰かに接するとき、どのように私たちは変化していくのか、そのために大切なことはなにかを、記していらっしゃいます。

私はこの一節の中で、「心が小さくなっている時、相手の方に変わることを強いてしまう」という文章を読んで、ドキッとしました。
時間に追われて仕事をしている時、焦っている時、ついつい言葉が強くなったり、余裕が無くなって待てなくなったりするんです 私・・・。
相手にも事情やペースがあるのに、内心「早くしてよ!」と思って、そんな空気を纏ったり、ぞんざいな態度をしてしまって、相手に無言のストレスをかけてしまう。
そのことを思い出していった時、私の心の中に浮かんできたのは
私は人と争いたいわけでもないし、悲しませたり、嫌な思いをさせたいわけでもなかったんだ・・・
本当はお互いに心地よく仕事をしたかったり、心地よく時間を過ごしたかったんだよね・・・ということ。
そう、私の大切にしていること、願いなどが見え始めています。

こんな風に、今 何を感じている?何を思い出したかな?どんなことを話したい? から始めたいのです。
例えば、ご紹介した一節から、最近、心が狭まっていたときを思い出して、そのことを話してみたい、聞いてほしいな、又はその時の自分のこころの動きを、言葉にすることで観てみたい、なんなら一緒に観てほしい・・・と感じたら、内側からこぼれ落ちてくるままに、話してみてほしい。
心が穏やかだったり、和やかだったときに感じていた感触や気持ち、時にはその心と一緒に行動したときのことを思い出して、話したいな、聞いてほしい、一緒に喜んだり、ほっとしてほしいなと感じたら、その話を分けてみてほしいのです。

「こころを聴く時間」は・・・

話すことで、「わたし」を知ったり

聴かれることで、感じ、浮かび上がってくること
誰かのエピソードを聴くことで、感じ、浮かび上がってくることをひとつひとつ掬い上げて

話したくなったことを話してみる
繰り返していく時間の中で、瞬間瞬間に「わたし」の内側で起こっていることを 安心して 自由に話す
(解き)放す時間。

より深く、より広く「わたし」を知っていく時間。

「聴かれる」や「受け止められる」を過ごす時間。

ぎゅっとなっていたこころがだんだんとゆるまって、ほぐれ・・・
ぎゅっと握りしめていたものが軽くなって、かさぶたもしっかり乾いて、剥がれ・・・
そうありたいと願った「わたし」を思い出し、表していく練習をする時間になれば嬉しいのです。

そんな豊かで美しい循環が、ひとりひとりの中に その時空間に起こリ、巡っていきますように。

yogaspaceturiya 聴くヨガの世界

「こころを聴く時間」の世界 その1 「でも」「けど」から始まらない世界

「こころを聴く時間」の世界観の一つが
「でも」「けど」「だけど」から始まらない世界と時間

家族や友達、誰かと話している時
会話の続きで話し始める時
「でもさ」「だけど」って言葉が続いてしまうこと、ないですか?

しょっぱなには言わないなぁな印象かもだけど
一旦受け止めても、二言めに「でも」「けど」が続いている時
その話をした人には、何が起こってるかしら?
私がその立場だったら、どんな印象を持つかしら?

「あ!違うんだ」はまだいいとして・・・

「批判されちゃうのかな?」
「だめ?」
「え!なんでだよ」
と、ドキドキや悲しい、しょんぼりやイラッが生まれてませんか?

もしかしたら勇気を出して、話してみたかもなのに
「やっぱり話さなければよかったな・・・」
「やっぱりわたしはダメなのかな・・・」
「わたしは理解してもらえない・・・」
そんな気持ちになって、こころがギュとなって、また話すまで時間がかかったり、話さなくなってしまったりするかも?
それって、哀しいし、切ない・・・。

例えば、話し終わったとき
「そうなんだね」
「それは○○だったね」
そう言ってもらえたら、どう感じるかな?感じそうかな?

ホッとするんじゃないかな?

感じたこと 内側に浮き上がってきたものは、一人一人のその瞬間の事実で真実
誰にも「無い」にできないと私は考えます。

「でも」や「けど」で会話を続けられたら、起こったことを「無い」にされたように感じがち。
そんな寂しいや悲しい、しょんぼりを感じることなく

自分の内側を
外側の世界に
自由に
安心して
その瞬間 浮き上がってきた言葉で表していく

そんな「わたし」にも参加している人にもやさしい時間と世界を
参加するみんなで作っていければと願っています。

「こころを聴く時間」の世界 その2 聴かれる喜び 聴く楽しみ

「こころを聴時間く」の聴くは、二つ。

一つは、参加するみんなとの間で起こる「聴く」(プライベートセッションの場合はわたしとあなたとの間)
一つは、自分の耳とこころに起こる「聴く」

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一つめの参加するみんなとの間で起こる「聴く」について紹介しますね。

「こころを聴く時間」は、平和で穏やか、あたたかな時間 世界。
そこで起きているのは
「そのままのあなた」が、大切にされること。

「こころを聴く時間」に参加する人たちにお願いしたいことが、一つあります。

それは、アドヴァイスや批判は、「こころを聴く時間」は、どこかにそっとしまっておいてほしい🍀ということ。

「こころを聴く時間」は、自由に「わたし」の内側を表現する時間。
「こんなこと話して大丈夫かな?」
「こんなこと言ったら、変って思われないかな?」
「こんな話をしちゃって、嫌われないかな?」
そんな不安は、部屋や時間の外に置いて
その時に浮かび上がった言葉を、安心して外側の世界に表現してみてほしいのです🍀

口から出た言葉や選んだ言葉、その温度、質感に
自分で「!」とびっくりしたり
想っていたこと、感じていたことと違うなぁと
もどかしさやモヤモヤを感じたりするかもしれないけれど
それをそのまま「聴かれる」「受けとめられる」とき、すごくホッとして、安心を感じやすいと思うのです。

それは、温かく 居心地のいい巣穴で、安心しきって
まぁるく くるんと
アタマをカラダの中に埋もれさせちゃったような感じ。

一つ前の案内にも書いたことをもう一度書くと、
その人が感じたことは、その人にとって、その瞬間、事実で真実だと想う。

だから、大切にされたいと想う。
その「大切」は、まっすぐに「聴かれる」「受けとられる」とき、感じることができると、私は何度も体験してきました。

その人が選んだ言葉、表される質感、温度などなど・・・
表されてから「え!ちがった?」とその人が思ったとしても
それは、その瞬間の真実
だから、大切にしたいと想う。

「大切にしたい」と想うとき、それはこころが反応しているとき。
だから「アタマが反応して」出てくる言葉やアドヴァイスは、「こころを聴く時間」では、そっとどこかにしまっておいてほしいのです。

「聴くヨガ」の「聴く」は

こころで聴く
こころで聴かれる
そのままのわたしを
そのままのわたしが
聴く
聴かれる
受けとる
受けとられる

参加する一人一人が、大切にされ、大切にする時間
「有る」「在る」に満ちた時間 世界でありたいと願っています。

「こころを聴く時間」の世界 その3 わたしを聴く こころを聴く

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「こころを聴く時間」は、1対1又はグループで開催するので、人に「聴かれる」や人の言葉を「聴く」など「誰か」の存在と共にあります。

そして、もうひとつ。

わたしが表現する言葉=音を「聴く」
言葉として表現することどもが在る こころを「聴く」
そんなシーンがあります。

一つ前に「人」と共にある中で、なにが起こるのかを書きました。
ここでは「わたし」になにが起こるのかを書きたいと思います。

ひとつめは、わたしが表現する言葉を「聴く」こと。

「耳」は閉じること 蓋をすることができません。
半分に折って、餃子みたいな形にしたりはできるけれど
耳栓をしたら音は小さくなるけれど、
日常の空間で、全く無音にすることは難しい。

わたしが、わたしの表現する言葉を聴くことは、音を聴くこと。

その音は、どんな高さや低さで表されている?
どんなスピードで表されている?
どんな質感かな?
こころに風が吹き抜けていくような感じや滑らかに流れていくような感じ
ざらっとした感じ、トゲトゲした引っかかるような感じ・・・などなど

どんな温度かな?
こころが解けたり、緩むような温かさ
ゾクっとするような冷たさや、なんとなくひんやりを感じるかも?

どんな色を感じる?
どんな感情を感じる?
音と音の間、言葉と言葉の間は、どんな空気や呼吸を感じる?

そんな風に、自分が表現する音を聴くとき、わたしは何を感じてる?

わたしは、わたしの中に何を見ている?

そんないろいろを、「わたし」を、「聴く」ことができます。

二つめ。

わたしはどんな言葉を選んでいるかな?

自分の内側にあることどもを表すときに選ぶ言葉。
ふと感じるままに表された言葉は、その瞬間、その人の真実だと想う。

だから、感じて、頭で考えて、選んで表される言葉も
意識することなく、こころからそのまま表される言葉も
どちらもそのまま受け取ってみてほしい。

自らが選んだ言葉の温かさにホッとしたり
そこに溢れ出るものに優しさを感じたり
或いはギョッとしたり
その隙のなさや正しいの感覚に驚いたり

選んだ言葉を聴くことは、こころを手のひらに包みこむようにじっくりと観ることだなと、私は感じています。

その選んだ言葉たちを、選べた言葉たちを、自分の耳で、注意深く聴くとき
わたしはわたしのそばに、寄り添います。

自らが選んだ言葉を聴くことで、本当はこんな風に感じていたんだな・・・
こんな感情が生まれていたんだ・・・
本当はこれを伝えたかったんだ・・・
あぁこの言葉と想いの間には、温度差があるな・・・
本当はこの言葉を渡したかったんだな・・・

そんなことに気づくことがあります。

そして、「わたし」が表現した音 言葉を、人の言葉を通して聴いた時、「聴かれる」ことで寄り添われていることを感じたり、「わたし」と「他の人」が聴いた音や言葉に違いを感じる。

寄り添われることで、さらに安心して「わたし」に寄り添い、眠っていたり、隠れていたことどもが、恐る恐るやひょっこりと表される。
或いは安全な空間と時間の中で「違い」を感じることで、「わたし」が本当に感じていたこと、表したかったことが、より明らかに際立って見えてくることもあります。

「こころを聴く時間」は、こんな風に「わたし」と仲良くなるツールの一つ。

嬉しいとき、わわわわわっと話す人がいる。
喜びを噛みしめるように、ゆっくりゆっくり話す人がいる。
興奮ぎみに 速いスピードで話す人がいる。
ゆったりと寛いだ呼吸が感じられるように話す人がいる。
明確に、ハキハキと話す人がいる。
訥々と、思い出しながら、味わうように話す人がいる。

それぞれが、「わたし」を感じながら、話すその姿は、とても誠実で素直で美しいのです。
だからそれぞれの「わたし」に、「こころを聴く時間」にたくさん出逢ってほしいと願っています。

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